未解決問題

樋口則義は西南戦争に出征したのか?

一葉関連の未解決問題はいろいろあるが、最近気になったことを最初に取り上げることにする。

樋口則義が西南戦争に出征していたということは、これまで読んできたものの中では言及がなかった。樋口則義は幕臣になったが大政奉還で翻弄されたが、どうにか官吏への道を見つけることができた。そんな彼が明治政府や薩長などに対してどんな考えを持っていたのかは気になるところだ。依田学海は西南戦争を題材とした劇を見に行ったりしていたようで、当時の世間の話題は西南戦争だったはずだ。則義は警視庁にも一時期属していたので、どんなことをしていたのだろうかと考えていた。西南戦争では、警視隊の中でも過激な抜刀隊が有名だが年齢的にも難しいし、彼の剣の腕がどの程度だったのかはよくわからない。そんなことから漠然といろいろ見ていて、Wikipediaの西南戦争の項目に行き当たった。政府軍の編成の中に「警視局雇樋口則義(樋口一葉の父)」と出てくるのだ。

各種年表を見ていると、10月、則義は警視局雇・警察病院製薬会計係になるが、この職を得るために、2月から9月までの西南戦争に出征していたと考えることができる。当時は一葉が思い出を語る桜木の宿に住んでいた。経済的にもまだ恵まれていた。

この年の春には、子供たちの学校問題がいろいろとあった。泉太郎は2月1日に本郷学校を退学して、止敬学舎に入学。この時期までは西南戦争で警視隊が出征する前なので、則義の監督下にあったはずだ。その後、3月頃に一葉が4歳で本郷学校に入学するが、3月31日に一葉と虎之助が同時に退学。一葉の退学理由は幼少のためという。

今回、ちょうど喜多平四郎の『征西従軍日誌』を読んでみた。政府側や西郷側の記録ではなく、従軍した兵隊の記録という珍しい本だ。2月9日に辞令を受けて、2月10日に600名ほどが横浜まで列車で移り、2月11日に神奈川丸で九州に渡航する。その後の一連の戦争の記録を残している。ざっと目を通してみたが、残念ながら則義に関する記述はなかった。政府側の最も詳しい記録『征西戦記稿』をざっと探してみたが、まだ則義の名前を確認できていない。その中のどこかに樋口則義を見つけられるのではないかと思っている。

 

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